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「佐倉って、何があるの?」
そんな問いに、うまく答えられなかったことがありました。
でも暮らしていると、ふと立ち寄りたくなる場所や、じんわり好きになる風景がある。
この街で10年、ゲストハウスを続けながら感じてきたのは、「観光地じゃなくても、人がまちを楽しめる形がある」ということ。
今回の前編では、「どんなまちになったらいいと思うか?」という問いから見えてきた、自分なりのまちの見方を綴っています。
日常の中で“楽しい”を育てる佐倉の話
「佐倉って、何があるの?」
そう聞かれて、うまく答えられなかったことがある。
観光地として有名な場所があるわけでもないし、これといった強い“売り”があるわけでもない。だけど、暮らしていると、なんとなく好きな場所や、つい立ち寄りたくなるお店がいくつかある。
心が少しゆるむような、気がつけば足が向いてしまうような、そんな場所たち。
佐倉には、そういう“ちょっとした楽しさ”の種が、まちのあちこちに点在している。
そして、そんな小さな楽しさを誰かと共有できたり、自分なりの楽しみ方を見つけたりすることこそが、まちの魅力をじわじわと育てていくんじゃないかと思っている。
観光地じゃなくていい。
地元の人が地元を楽しめるまちへ。
そんな視点から、今あらためて「佐倉」というまちを見つめ直してみた。
「佐倉をどんなまちにしたいのか?」
たとえば、こんなふうに聞かれることがある。
「佐倉がどんなまちになったらいいと思っていますか?」
たいていは、「自分はまちづくりに関わっている」という意識を持っている人からの問いだ。
でも正直なところ、私自身が「まちづくりをしている」とはあまり思っていない。
地域で活動をしていても、それはあくまで“暮らし”の延長線上であって、特別なことをしているつもりはないからだ。
だからこれまでは、うまく答えることができなかった。
それでも最近になって、少しずつ自分なりの考えが見えてきた。
もちろん、これが“正解”というわけではない。ただ、自分の中でしっくりくる感覚がある。
それは、「地元の人が、ちゃんと地元を楽しめているかどうか」。
とてもシンプルだけど、今の私にとってはとても大事な視点だ。
個人的な経験からいえば、旅行先で一番印象に残るのは、有名な観光地そのものではなく、地元の人たちと自然にふれあえるような空気や風景だったりする。
そして、そうした場所には、日常のなかで地元を楽しんでいる“地元の人”がいる。
佐倉の“中途半端さ”とその可能性
では、佐倉の現状はどうだろうか。
まず、観光資源が豊富かと聞かれれば、そうは思わない。
「豊富」よりも「中途半端」という表現のほうが、正直しっくりくる。
こう言うと異論もあると思うが、たとえば“城下町”の雰囲気なら川越のほうが圧倒的に整っているし、自然も文化的な見どころも、佐倉より魅力的に発信されている地域は多い。
(ただし、国立歴史民俗博物館だけは、間違いなく唯一無二の存在だと思っている)
しかも、人口減少が進むなかで、今から多額の予算を投じて観光資源を整備し、他地域と肩を並べるような観光地をつくるのは、現実的とは言いがたい。
それに、“観光地化”は、私が考える「楽しいまち」のあり方とは少し違う。
もっと言えば、暮らしの延長にある楽しさこそが、このまちの本当の魅力ではないかと思っている。
続きはこちら → 中途半端なまちでいい。佐倉で見つける“自分の楽しさ”(中編)