中途半端なまちでいい。佐倉で見つける“自分の楽しさ”(中編)

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佐倉には、観光地としての強い“売り”があるわけではないけれど、日常のなかに小さな楽しさが点在しています。

地元でお金を使ったり、誰かと会話したり、ちいさな営みに関わったり——。
そうした日々の積み重ねが、まちの空気をつくっていくんだと感じています。

中編では、「地域経済循環率」や「未来への投票」といったキーワードから、自分の暮らしとまちとのつながりを考えてみました。

地域経済の循環と“暮らしの楽しさ”

次に、佐倉に住む人たちは、いま佐倉を楽しめているだろうか?
そこを測るヒントとして、「地域経済循環率」という指標がある。

ざっくり言えば、地域内でお金がどれだけ巡っているかを表すものだ。
稼いだお金が、地元の店やサービスに使われ、また別の誰かの収入となり、地域の中で何度も循環していく。そうした仕組みがうまく機能しているほど、地域は元気になる。

逆に言えば、稼いだお金がすぐに地域外へと流出してしまうと、地元に潤いは残らない。たとえば、チェーン店やネット通販ばかりを利用していると、地元の商店街や小さな飲食店にはお金が落ちにくくなる。

この「地域経済循環率」は、目に見えにくいけれど、「地元を楽しめているかどうか」を考えるうえで、ひとつの指標になり得る。

地元の飲食店で食事をする、地元の作家さんの作品を買う、近くの人に仕事を頼む。
そんな行動の積み重ねは、単なる経済活動ではなく、「暮らしの楽しさ」や「まちへの愛着」にもつながっている。

つまり、「地元でお金を使いたくなる場所があるか」「そうした場所で過ごす時間に、ちゃんと価値を感じられるか」が、結果として地域経済を回し、「楽しいまち」をかたちづくっていく。

そして、そういう場所があることが、そこに住む人の“心の豊かさ”にもつながっていくのだと思う。

自分の“楽しい”を見つける余白がある

佐倉にも、その種は確かにある。
小さくても魅力的な営みをしている人たちがいて、まちの空気をほんの少し柔らかくしてくれるような場所も、点々と存在している。

たとえば、週末になると近所のカフェで小さな手づくり市が開かれていたり、公園で親子がのんびり過ごしていたり、ふと歩いた先にちょっと気になるショップがあったり。
どれも大きなイベントではないけれど、そうした日常の中の営みが、まちの空気をじわじわと温かくしてくれている。

そして、何より重要なのは、「使いたくなる」「関わりたくなる」ような地元の選択肢があるかどうかだ。
飲食店、マーケット、工房、サードプレイス、リトリートスペース……佐倉には、そうした魅力的な場所や人の営みが、確実に存在している。

ただ、それらが日常の中で“当たり前に選ばれる存在”になっているかといえば、まだそこには課題があるのかもしれない。
情報が届いていなかったり、物理的にアクセスしにくかったり、そもそも存在自体が知られていなかったり──。

けれど、だからこそ、自分なりの楽しみ方を見つけたり、育てたりできる“余白”が、このまちにはまだたくさん残されていると感じている。
この余白こそが、まちの自由度であり、住む人たちの創造性を引き出す可能性だと私は思う。

応援するということ

こうした存在を消してしまわないためにも、市民からの応援が欠かせない。
それは言い換えれば、“日常の中で応援できる関係性を育てる”ということでもある。

実際、佐倉でも魅力あるお店が少しずつ減ってきているのが現実だ。
「気になっていたけれど、行かないまま閉店してしまった」という話もよく聞く。
そして、「閉店するらしい」と聞いた途端、急に足を運ぶ人が増える。
本当は、その前から日常的に通えていたら、結果は違っていたかもしれない。

地元のお店や場所を利用することは、単なる消費行動ではなく、“未来への投票”でもある。
「また行きたい」と思える場所を残していくには、誰かが応援してくれるのを待つのではなく、自分が応援する側に回ることが何より大切だ。

それはSNSでのシェアでもいいし、友人に紹介することでもいい。
「おいしかった」「よかった」「また行きたい」と、ほんの少しでも誰かと共有する行為が、地域の魅力を支える力になっていく。

中途半端なまちでいい

もちろん、確かに、大手企業が運営するチェーン店やサービス、あるいはインターネットでの買い物は、便利で効率的で、使い勝手も良い。
しかも、多くの場合、価格も手頃で、一定の品質が保証されている。

そうした選択をする人たちを否定するつもりはまったくないし、私自身も必要に応じて利用している。
むしろ、そうした利便性のあるサービスと、応援したい地元のお店や場所がどちらもバランスよく存在していることこそが、今の佐倉の“中途半端さ”の魅力のひとつだと思っている。

何か一方に振り切っていないからこそ、自分の価値観で選び取れる。
気分や目的、その日の気持ち次第で選択できる余地があるというのは、暮らしにとってとても大切なことだ。

その余白や幅のある感じが、佐倉らしさなのかもしれない。
この“中途半端さ”を、曖昧さや弱さとして捉えるのではなく、選択肢の多様さとしてポジティブにとらえたいと思っている。

続きはこちら → 楽しさを語るまちに。行政と民間、それぞれにできること(後編)